東北旅行記「エスクードがゆく!!」

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奥会津峠巡り 日時:2009年8月30日
場所:福島県・鮭立の磨崖仏、松坂峠、新鳥居峠、舟鼻峠

ふと思い立ち峠巡り。

国道49号線で会津坂下まで行き、そこから国道252号線に入り只見方面へ。生憎の曇り空でいまいち気分が乗りませんでしたが、気温は20℃前後とツーリングに最適な天気でした。天候の回復を期待しつつバイクを走らせました。

今日もVTRツーリング
耐候性鋼材が特徴
麻生大橋

只見方面に行くたびに目に入る町外れにある吊り橋。新しい橋かと思ってたら1988年製でした。茶色かったのは塗装じゃなくて錆(酸化皮膜)だったようだ・・・。

R252

近年出来た駐車スペースにて。

只見川
こぶし館
蕎麦が有名
慰霊顕彰碑

会津地方の郵便局員の殉職者が列記されています。昔は今と違って冬期の配達は命がけです。吹雪に巻き込まれ命を落とした人は少なくありません。遭難した際に着ていた上着を配達鞄に掛け死してなお郵便物を濡らさないように努めたという美談は涙を誘います。郵便が国営だったからこそ配達夫も高い志と誇りを持っていたのだろう。

民営化された郵便事業会社を昔の人が見たらどう思う事やら・・・。余談だけど田舎の郵便局長はものすごくステータスが高い。元をたどると明治期に庄屋や陣屋など戸長クラスの人たちが郵便の仕事を政府から請け負うようになったからである。


金山町から松坂峠を越して只見町入りしました。

県道352号
至 只見町布沢
鮭立の磨崖仏

後学のため説明文抜粋。
※一部説明のため加筆

町指定重要文化財(昭和52年)

鮭立の磨崖仏(さけだち の まがいぶつ)

この磨崖仏は、天明(江戸時代の1780年代)の飢饉による痛ましい被害状況を見て、止住していた修験者「法印宥尊(ゆうそん)」が発願し、五穀豊穣と疫病退散を祈って作り始め、更にその志を継いだ「法印賢誉(けんよ)」の代に完成したと伝えられます。

向かって右側の方が古く、現在は風化して顔料(塗料)が少し残っているだけですが、完成当時の美しさが偲ばれます。第三期層凝灰岩に彫られている尊像の像高は、約15センチから60センチまでの肉厚彫りで、その数は51体です。

修験道の主尊である不動明王を中心に置いて、如来・菩薩・明王・天部の各尊像が配置されています。天部の尊像である「荼■(木偏に只)尼天(だきにてん)」「飯縄権現(いづなごんげん)」「九頭竜権現(くずりゅうごんげん)」「鬼子母神」「弁財天」「閻魔大王」など県内唯一のものでしょう。特に深沙大将(じんじゃたいしょう)は、全国的にも珍しく、臼杵石仏群(大分県)に一体あるだけだと言われています。

平成17年10月 金山町教育委員会


天明の大飢饉はこの部落にも例外なく被害をもたらしたようです。修験者の作ということで仏像にも密教系の特色が見られるとのこと。

芳名帳あり
駐車スペース
雨避け
金山町は妖精の里
磨崖仏
大黒天か?
風化が激しい
信仰心の賜物ですね
大岐集落跡

隠れキリシタンは流石に胡散臭いw
平地が開けているのでかつて集落があったのは間違いないだろう。

お墓が散見されるのみ
いよいよ峠道
峠付近
松坂峠
逢瀬の松
ここより只見町
南郷スキー場
新鳥居峠

南郷と会津美里町をつなぐR401が地味に酷道な件。
基本的に2車線センターライン無し舗装なので楽な道ではあります。昭和村の一部区間が狭窄路になっているのでそこだけ注意すればOK。近隣の展望はは新鳥居峠から少し昭和側に下りた所にあるくらいで特筆するような場所ではないです。
南郷〜昭和間は冬期通行止めになります。

ここから昭和村
R401
玉川渓谷
清流
昭和村大芦
至 喰丸
初代村長記念碑など
至 下郷
庚申塔
羽染弥惣治ほか8名施主とのこと
田島への分岐点

ここから下郷方面まで2kmくらい険道区間。
ある程度山を下りると一部だけ2車線でしかも道幅が広くなるのが謎。その場所まで行くのに狭い道を通らなければならないで大型車は通らないと思う。将来的にトンネルを掘る構想があったのだろうか。現在、1本新しいトンネルを建設中のようです。完成すれば昭和と下郷の移動時間が短縮されそうです。

2車線舗装
田島への分岐
県道346号
トンネル工事中
甲子トンネル
延長4.3kmの長大トンネル
非常電話

この電話BOXは110番と119番専用とのこと。しかも扉を開けると同時に監視カメラが作動するらしい。写真撮影のため危うく開けるところでした(マテ

甲子トンネルを抜けたら大信・天栄村ルートを流して郡山へ。
出発から約6時間ほどのツーリングでした。

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written by koutaro, 2009