竜飛崎

  • 2010年3月7日
  • 青森県竜飛崎

竜飛崎まで行ってきました。

竜飛は仙台時代に一度訪れたことがありますが約4年ぶりの再訪となりました。相変わらず三厩村の集落を通る道路が狭く寂れた漁村らしさは全く変わっていませんでした。小説「津軽」で”本州の袋小路”と記されるだけあって、これより先は何もない、と紹介するほかないです。まだ3月ということもあって青函トンネル記念館などは冬期休業中です。風光明媚なワインディングロードとして多くの旅行者に愛される竜泊ラインも通行止めです。竜飛を訪れるのはゴールデンウィーク以降の夏場がおすすめです。

関連:竜飛崎Wikipedia

蟹田町某所

道の駅「今別」。駐車場が広いので車中泊向きかも。ここから車で10分ほど先にコンビニがあるので食料の調達なども可能。もちろん冬場は厳寒地なのでNGですが・・・。

奥津軽駅(仮称)は2015年開業予定。こんなところに駅を作る意味がわかりません。函館まで直通でいいと思います。

この時期は観光客もいないので寂れてます。一応、営業中。

義経、静御前竜神塔。

三厩村発祥の地。この後ろにあるのが村の名前の由来になった「厩石(まやいし)」。

松前街道終点の碑。

三厩村の由来など。

後学のため説明文を抜粋

文治五年(1189年)、兄頼朝の計らいで、衣川の高舘で藤原泰衡に急襲された源義経は、館に火をかけ自刃した。これが歴史の通説であるが、義経は生きていた!
藤原秀衡の遺書(危難が身に迫るようなことがあったら館に火をかけ、自刃を粧って遠くの蝦夷が島(北海道)へ渡るべし)のとおり北を目指しこの地に辿り着いた。近くに蝦夷が島を望むが、荒れ狂う津軽海峡が行く手を阻んで容易に渡ることが出来ない。そこで義経は海岸の奇岩の上に座して、三日三晩日頃進行する身代の観世音を安置し、波風を静め渡海できるように一心に祈願した。
丁度満願の暁に、白髪の翁が現れ、”三頭の龍馬を与える。これに乗って渡るがよい。”と云って消えた。翌朝巌上を降りると岩穴には三頭の龍馬が繋がれ、海上は、鏡のように静まっていて義経は無事に蝦夷が島に渡ることができた。それから、この岩を厩石、このちを三馬屋(三厩村)と呼ぶようになりました。

下書かれているのは英訳。最後に”This story is might be a legend, but in Minmaya village, there is a lot of evidence that can not be denied.”と記されてるので外国人にも伝説だということが伝わると思う。もっともこんな辺地に来る奇特な外国人がいるとは思えませんが・・・。

義経寺への階段。

ちょっとした勾配があります。

厩石全景。意外と大きいですね。

寂しい漁村。

義経寺。

津軽海峡冬景色歌謡碑。

中央の赤いボタンを押すと大音量の津軽海峡冬景色!

津軽半島最北の集落、帯島。

今や全国区の知名度を誇る(?)、階段国道。

冬期は積雪のため通行止めらしい。

竜飛崎灯台。

1932年7月1日点灯とのこと。

展望台。

津軽海峡の向こうには北海道が見えます。今日は天気が良かったのではっきりと確認できました。