実方中将の墓
- 2013年12月7日
- 宮城県実方中将の墓
名取市にある実方中将の墓を見て来ました。
実方中将は藤原実方(ふじわらのさねかた)と言い平安時代中期の貴族、歌人。中古三十六歌仙の一人。花山・一条両天皇に仕え、従四位上・左中将に至った。しかし、長徳元年(995年)に一条天皇の面前で藤原行成と歌について口論になり、怒った実方が行成の冠を奪って投げ捨てるという事件が発生する。行成は取り乱さず、主殿司に冠を拾わせ事を荒立てなかった。これが原因で天皇の怒りを買い、「歌枕を見てまいれ」と命じられ、実方は陸奥守に左遷され現地に下向。一方の行成は蔵人頭に抜擢された。
陸奥守として赴任する一方、「歌枕を見てまいれ」という勅命に従い各地の歌枕を訪れていたようである。ある時、出羽国にある阿古屋の松を見た帰りのこと、当地にある道祖神神社を通り過ぎようとしていたところ、地元の人々から高名な神様であるから馬から降りて拝するよう懇願された。しかし、実方中将はそれを無視したため、神罰かにわかに馬が暴れ出し落馬、下敷きになり亡くなったのである。
その墓が実方中将の墓である。かつては五輪塔などがあったようだが江戸時代には既にかろうじで土が盛ってあるのが分かる程度に寂れ果てていたとのこと。遠く都を離れてからも和歌に通じていた中将の風流に憧れていた西行がはるばる訪れ、松尾芭蕉は訪れることは叶わなかったそうだ。

県道39号線で愛島方面に行くと目印があります。

細い道を200mくらい入ると駐車場あり。

この橋を渡り、農家の脇を通ります。

松尾芭蕉の歌碑。
芭蕉は体調が悪く、道がぬかるんでいたため墓を見つけることができませんでした。「笠島は いづこ五月の ぬかり道」と一句残しています。

実方中将の墓。

柵が無ければ気が付かないような盛り土。

歌人だった中将にちなみ短歌を募集していました。
ついでに近くにある熊野神社も訪れてみました。

熊野那智神社。
名取熊野三社のひとつ。東北地方の熊野信仰の中心地として知られる。境内に鳥居が無く、鐘堂が境内にあるなど神仏習合の影響が見て取れる。

樹齢千年の大銀杏。

なんと名取市市街からも見えるらしい。

太平洋が見えた。
お昼はスリランカセンターに立ち寄りました。

カレーセット。デザートに紅茶とアイスも付きます。
本格派のスリランカカレーで美味しかった。
地元ではかなり知られたお店だそうです。