宮戸島の特攻兵器「震洋」基地跡

  • 2022年1月9日
  • 宮城県第146震洋隊基地跡

はじめに

震洋(しんよう)とは太平洋戦争末期に旧日本海軍が開発、使用した特攻兵器(小型特攻ボート)です。船内艇首部に炸薬250kgを搭載し搭乗員が乗り込んで操縦して目標艦艇に体当たり攻撃を行います。ベニヤ板製で構造が簡単であり設計段階から量産を考慮していたので終戦まで6000隻以上も生産されたとされています。基本の1人乗りから2人乗りの指揮官艇、魚雷を装備したものなど幾つかのバリエーションがありました。フィリピン、沖縄諸島、日本本土の太平洋沿岸に配備され、いくばくかの成果は上げたようです。

大量生産された震洋には他の特種兵器から転出となった搭乗員のほか機体が無いために余剰となった海軍飛行予科練習生があてがわれました。訓練は主に長崎県大村湾の水雷学校川棚分校と鹿児島県江の浦で行われ全国各地に続々と配置されていきました。日本本土では太平洋沿岸の九州と房総半島が主な配置先で東北は小名浜と松島に配置されたようです。一説によれば津軽海峡に面する青森県風間浦村の甲崎(かぶとさき)も震洋基地だったと考えられています。いずれも防衛司令官の直轄扱いではなく、攻撃の有無、成否、戦果などが部隊ごとの記録となったため正確な記録はほぼ残っていません。全国各地に基地跡とされる場所は多数ありますが確証があるのはわずかです。

決戦兵器という性格上、地元住民にも存在を秘匿されていました。そのため宮戸島の震洋基地跡も他の基地跡に酷似していますが、証言が少なく、確実に存在したと断言することはできません。それを踏まえた上で見学するのが適切でしょう。

関連:手紙につづる記憶 島に特攻隊の基地があった(NHK仙台放送局)

基地跡へ至る道

宮城県東松島市(旧鳴瀬町)の宮戸島、名岩・奇岩が多数連なる嵯峨渓の近くから基地跡へ行くことができます。基地跡は旧鮫ヶ浦漁港として利用されていたようですが交通の便が悪いため近年は使用されることが無くなったようです。

漁港の空地に車を止めます。

漁港の空地に駐車することができます。
基本的に徒歩がおすすめです。

Y字路を右に進みます。

漁港との分岐から細い道になります。

薄暗い雑木林です。

通行止めの看板があります。

トンネルの開口部が見えてきました。

50mほどでトンネルの入口があります。素掘りのトンネルで意外にも幅と高さがあります。実際、軽トラが通過していくのを目にしました。何かしらの目的で地元民に現役で使用されているのかもしれません。ちなみに銘板等を探しましたが見当たりませんでした。ネット情報によると市でも建設年代を把握してないトンネルでおそらく昭和10年代~20年代に掘られたとされているそうです。

トンネル内部を撮影しました。

地質は砂岩なので掘りやすかったと思います。

トンネル内も一応舗装されています。

フラッシュを焚いて撮影してます。実際は暗いです。長さ50mくらいあるので中央部は真っ暗でした。また車の通行があるので安全対策で反射材の着用、照明の点灯が必要。崩落、浸水箇所等はありませんでした。

真冬なので気温は氷点下でした。

トンネルを抜けると日陰のため氷柱が出来ていました。この日は放射冷却で冷え込んでいて松島でも気温マイナス2℃でした。

日陰です。

雪が残っていて滑りやすい状態でした。

第146震洋隊基地跡

トンネルを出て100mほど歩くと旧漁港に到着です。

ここが太平洋戦争末期に第146震洋隊基地があった場所です。

レールが2本海に突き出しています。

岸はコンクリートで固められていてスリップウェイという船を海中に滑り下ろす鋼鉄製のレールが設置されています。

枕木とレールの写真です。

レールはコンクリート製の枕木に取り付けられていました。重量物にも耐えられそうです。表面は完全に錆びていますがレール自体はまだしっかりしていました。果たしてこれが太平洋戦争中からあるものなのか戦後に漁港の設備として設置されたものなのかはわかりません。ただし相当古く見えるので少なくとも昭和年代のもので間違いないでしょう。

レールの先の写真です。

レールの先は海中に没しています。

レールはがっしりしています。

レールは肉厚でした。

後方には台車があります。

レールの後ろには台車が置かれていました。

台車の下にもレールが敷かれています。

この台車はスリップのレールに対して横方向に動くように作られていました。格納庫から出したボートを乗せて2つある各々のレールまで動かして進水させていたと考えられます。後述しますがこの台車は電動ウィンチで動かしていたようです。

レールの先は入り江の外を向いてます。

進水してそのまま発進できそうです。

入り江の様子です。

本土決戦時は入り江の奥の洞窟などから出撃することが計画されていたみたいで他の震洋基地遺構も似たような場所のようです。

津波で台車が流出しました。

台車が1台海中に没していました。
東日本大震災の津波で流されたのかもしれません。

漁港わきの建物です。

コンクリート造りの建物です。倉庫跡でしょうか。

錆びついたウインチがあります。

内部には古びた電動ウィンチが残されていました。風化が激しく製造年月は読み取れませんでした。製造は府中の北川鉄工所でした。字体から戦後に作られたものの気がしますが戦中は軍指定工場だったという情報もありもしかしたら関連性があるのかなと。海側壁面に開口部があるのでここからワイヤーを出して台車を動かしていたと推測されます。

震洋の格納庫です。

震洋格納壕(格納庫)です。トンネルから漁港までの途中に幾つか見ることができます。幅3m、高さ2m、奥行20mくらいです。

漁具が残されています。

漁具置き場として使用されていたようです。

藪に覆われているものもあります。

これは入口が塞がれかかっていますが全体的に保存状態は良好。

参考資料

緯度経度情報

  • 緯度: 北緯38度20分41.11秒
  • 経度: 東経141度9分53.13秒
  • UTMポイント: 54SWH14394408
  • 標高: 0.5m