龍飛崎

  • 2012年5月27日
  • 青森県龍飛崎

天気がよかったので竜飛までツーリングしてきました。
今シーズン初の龍飛です。

青森〜蟹田〜小国〜今別〜三厩

龍飛崎灯台と帯島への交差点

バイクツーリング。

第10号洞門

第10号洞門付近。国道339号は竜飛付近になると素掘りのトンネルが連続します。急峻な岩場をくり貫いたトンネルには先人の苦労が窺えます。

洞門は当時のアワビ漁で得た資金を使って掘削した。

後学のため抜粋。

その昔、この道は山道を通り、岩から岩へ波の合間を縫って飛び、岸壁をよじ登りまた、岩門に穴をあけてその穴にヒバ丸棒を差し込みその上に板を乗せてと、危険を冒しての通行、それが昭和のはじめまでの龍飛崎までの路であった。当時(大正末期〜昭和初期)、宇鉄漁業組合長であった牧野逸蔵は、そのころ盛んに行っていたアワビ採取事業によって得た莫大な益金で大正12年にこの道路の開削に着手し、その時に出来た洞門が「13の洞門」ですが、現在は「親子洞門」をはじめ、8つの洞門より残っておりません。
三厩村

龍飛崎観光案内所 竜飛館

龍飛﨑観光案内所 龍飛館。

竜飛館は旧奥谷旅館。太宰治が宿泊したことで知られている。

旧奥谷旅館を改装して資料館になっています。太宰治の小説「津軽」で太宰が龍飛で宿泊した旅館がまさにこの旅館です。太宰は龍飛について次のように書き残しています。

ここは、本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えてゐるのである。ここは、本州の袋小路だ。
太宰治「津軽」

館内には太宰が訪れた当時の龍飛集落の様子が写真で展示されていました。小説で「鶏小舎」と評された集落はどのようなものだったかが分かる大変貴重な資料だと思います。また、あわび漁の益金で掘削した洞門についても紹介があり、戦前は最果ての寒村だった龍飛の様子を知ることが出来て大変勉強になりました。

関連:龍飛岬観光案内所 龍飛館

帯島にある道路竣成記念碑

道路竣成記念碑。

竜飛帯島

帯島。

龍飛館の係員さんは地元出身らしく「帯島には昔砂浜があって、山に登って遊んだこともある」という貴重なお話を聞くことができました。今はコンクリートの護岸が整備されているので分かりませんが砂浜があったのは意外でした。

ちなみに帯島は龍飛にある離れ小島のこと(写真中央)。

道の駅みんまや

道の駅「みんまや」

青函トンネル本州方基地の大看板

青函トンネル本州方基地。

ケーブルカー

約6年ぶりにケーブルカーに乗りました。

体験坑道内部の様子

体験坑道内にて。昔と全く変わっていません。

灯台までは徒歩です。

遊歩道で灯台へ。

龍飛崎灯台

龍飛崎灯台。関連:龍飛埼灯台Wikipedia

龍飛埼灯台を紹介する案内板

灯質は群閃白光、実行光度は47万カンデラ、光到達距離は約23.5海里(約44km)、昭和7年7月1日初点灯。日本灯台50選の一つ。

龍飛崎にある自衛隊の基地

自衛隊施設。国防の要。

青函トンネル建設時の大集落跡地

青函トンネル工事の時は1200人以上が暮らしていたそうです。今では面影がほとんどありません・・・。

階段国道

マニアの聖地「階段国道」!

龍飛崎ウィンドパーク跡

龍飛崎ウィンドパーク。実は東北電力の実験が終了し老朽化も進んだことから殆ど撤去されています。昔みたいに風車が並んでいる様子を想像していると拍子抜け。龍飛は風力発電に最適だと思うので改めて大規模な風力発電所を建設して欲しいですね。

帰りは6年ぶりに竜泊ラインで。

竜泊ライン展望台

抜群の眺望なのでツーリングコースとしても非常に有名。

津軽海峡の先に見える北海道

津軽海峡の先には北海道!!

小泊経由で蟹田方面へ。途中、大平の資料館に立ち寄り。

大山ふるさと資料館 閉校した小学校の校舎を利用した資料館

縄文初期の矢尻や土器が展示されています。また、付近の農家から収集した農機具が充実しています。農機具はもう少し使い方がわかるような説明になっているとベターかも。

本日の走行距離は172kmでした。